全日本漢詩連盟 副会長 内田 誠一
二十四節気を私が詠じた数首の中に「立夏山行」と題した詩がある。「立夏」を選んだのには理由がある。春霖(新暦3月から4月にかけて降る長雨)が終わって5月初旬。古藤樹の花房が風に揺れ、濃厚な香りが漂って暫し陶然とする。山居の身にとって実に好もしい季節だからだ。藤は何度か詠じているので、今回は山歩きを題材にした。
立夏山行
雨余山郭緑苔盈 雨余の山郭 緑苔盈つ
杖屨探幽雲氣生 杖屨もて幽を探るに 雲気生ず
螻蟈初鳴如鼓吹 螻蟈 初めて鳴き 鼓吹の如し
薫風又入別天清 薫風 又た別天に入りて 清らかなり
まず立夏・初夏を詠じた中国歴代の詩を見ると、長風・清風・薫風といった詩語が使われている例が少なくない。白楽天の「首夏南池独酌」詩では「薫風自南至、吹我池上林」とある。「清風」も良いが、立夏以外でも使われるので、結句で「薫風」を使い、韻字に「清」(庚韻)を用いることにした。舞台は山里と山中。若かりし頃、所用で福岡の朝倉に赴いた際、「山中に秋月種時公の墓がある」と現地で初めて聞き、即座に登山を開始した。強烈な風雨の後で大木が斜めに倒れていた。それを潜り抜けて、遠祖の巨大な墓を参拝。杣人しか通らぬような幽邃なる別天地だった。その体験から、結句は「別天」を使って「薫風乃入別天清」とした。李白の句「別有天地非人間」も脳裡を掠めたのである。これで結句がひとまず決まった(後述するが結局第三字を「又」に修正した)。
『世説新語』に、阮籍が蘇門山に入り孫登に会って長嘯する(口笛や指笛を吹く)話柄がある。中国国家博物館で5~6世紀の「竹林七賢図磚画」の拓本を見たが、阮籍は得意の指笛を吹いていた。阮籍が帰途に中腹までくると、山上から音声が響いてきた。さきほどの孫登が長嘯していたのだ。『世説』ではその音声を「数部の鼓吹の如く、林谷 響きを伝う」と表現している。「数部の鼓吹」とは数種の楽器による演奏。たった一人の長嘯の音声が多声部の合奏のようであったとするのは、音が林や谷にこだましていたからだろう(余説参照)。
『逸周書』に「立夏之日、螻蟈鳴、又五日蚯蚓出」とある。螻蟈とは蛙の異名。青蛙、乱蛙、蛙声といった詩語が一般的だが、何せ別天の趣を出すつもりなので、どこにでもいそうな蛙では向かない。そこで余り使われぬ「螻蟈」を使い、転句に「螻蟈初鳴」の四字を置いた。音声表現は転句に用いると極めて効果的である。ただ、ここでの鳴き声は俗界の蛙とは違って音楽的であってほしい。そこで下三字を「鼓吹の如し」とした。「鼓吹」は「蛙声」の意味にも使われるが、拙作では「音楽の演奏」という本来の意味で用いている。「吹」は名詞では仄字。
拙作の転結二句では、「螻蟈初鳴」と「薫風乃入」で四字の対句を形成している。転結の下三字も対にすると後対格の絶句となる。だが、詩の内容を考えてそうしなかった。なぜか。音楽の如き蛙声が響きわたり、薫風が別天に吹き入るという流動性が損なわれないようにという意図からである。絶句という詩型が本来備えている「非完結性」による「余韻の流出」を狙ったのだ。逆に律詩は整合性・安定性という性格を有する。
次にこの転結を踏まえつつ、起承二句を考える。立夏の時節に山歩きするので詩題は「立夏山行」と決まった。春霖の終わりを匂わせるため「雨余」の二字をまず置いた。場所は「山郭(やまざと)」。この村里を世間から隔絶させるために「苔」の字を使った。俗人が訪うこともない山里に、春の長雨が降り苔が繁茂する。起句は「雨余 山郭 緑苔盈つ」とした。「苔」の字には人の往来が殆ど無いという寓意を含む。通行が多ければ苔は繁茂しにくい。隠者の住処を詠じる場合にも「苔」の字が用いられる。王維の「与盧員外象過崔処士興宗林亭」と言う絶句を例に挙げよう。崔興宗の住む林中の家に王維が盧象と共に訪問した時の作。その承句に「青苔 日び厚くして 自から塵無し(青い苔が日毎に厚く茂って、おのずと土ぼこりもない)」とある。この土ぼこりは俗世の穢れを象徴する。即ち苔が厚く茂り土ぼこりもたたないのは、俗人が訪れないことを寓意しているわけだ。王維は、崔興宗が世に超然として官に就かず、脱俗の生活を送っていることを褒めている。拙作でも俗世から離れた地をイメージさせるために、「苔」を持ち出したのである。
さて次に承句。14世紀の禅僧・雪村友梅が、中国滞在中に輞川を訪れた際の「輞川道中」という詩がある。その第一句に「杖屨(じょうく・杖と履物の意)」という詩語が使われている。いつかこれを使ってやろうと思っていた(気に入った詩語や詩句は覚えておくのが良い)。そして結句の「別天」の伏線として「探幽(幽境を探尋するの意)」を用いた。探幽するなかで、人間世界との境界となるベールを出現させた。「雲気」である。以上のような筋立てとなった。
完成して推敲の際、悩んだのが結句の第三字だ。結句を考えついた時は「乃」の字(そこでの意)を使ったのだが、転句を作った後、結句との繋がりが適切ではない気がした。「又」の字(更にの意)の方が良いのではないか。結局、仙楽の如き蛙声が響きわたるのに耳を澄ませた(聴覚)ことに加えて更に薫風が吹き入るのを感受し(皮膚感覚)、別天地の清秀なる趣を味わった、と結ぶことにしたのである。
漢詩作法は多種多様である。拙文では私の一例を示したに過ぎないのだが、読者の方々がここから何かヒントを得て頂ければ望外の喜びである。
(余説) これはあながち誇張とも言えまい。今から30年程前、サヴァリッシュ率いるフィラデルフィア管弦楽団の某国での公演を聞きに行った。演奏会場が音楽ホールとして作られたものではないからか、今この瞬間に演奏している音と一小節前の音の木霊とが重なり合うという奇妙な現象が起こった。「多声部の合奏のよう」というのは、これに似た現象の可能性があろう。